10年前のあのときでも、もし、私か慌てふためいて何も見えない状態になっていたら、せっかくその人が訪問してくれたのに、「今はそれどころじゃない」などと言って、追い返していたかもしれないのである(実際、会社が順調なときだったら、まちがいなく、そうしていたはずだった)。
どんなに慌て騒いでいたところで、どこかピンとくるものがやってこなければ、活路が開けることなどぜったいない。
私か彼に会う気になって、そこから商売の活路となるヒントを見出すことになったのも、すべては私が事のなりゆきを冷静に見守る眼をもっていたからではないだろうか。
そうしたヒントとなるようなものは、決して自分の内部から自然と湧き上がってくるものではないと私は思っている。
他人は「運命」と呼んでいるのかもしれないが、私は、ご先祖をはじめとした多くの方からの「お導き」と信じているのである。
彼が輸入の話を持ってきたのも、まさにそのお導きに他ならなかったのだ。
余談になるのかもしれないが、その後の私とX社のつながりについて、少し話をしておこう。
といっても、その後、両者の関係が良好になっていったというわけではないのだが、御徒町の寿司屋「K八」のご主人のY田さんと弟子のK藤さん。
もう40年もお付き合いしている。
私の場合、寿司屋での出逢いが大きな意味をもっていることが多と面白いエピソードがあるので、ご紹介させていただきたい。
X社の圧力を受けて、国内大手の2社から取引を停止されたことは、いま書いたとおりである。
だが、その2社のうちの1社であるA社の会長とは、以前から御徒町にあるK八という寿司屋でお目にかかっていた。
そこは会長も私もひいきにしている店だったから、その取引停止のI件のあとでも、私か店に入っていくと、ときどき、そこに客としてきている会長と出くわしたものである。
その会長も、内心では私どもの会社を気にかけてくれていたのだろう、彼はよく私に、「Kサカさんには、すまんなあ」と言ってくれたものだった。
もっとも、A社の人によれば、「うちの会長は、そんなこと言っていませんよ」東京の物流の大動脈である。
首都を走る環状7号線。
当社の前という話だが、お互いに立場があることだから、それでいい。
さて、5年ほど前のことである。
そのA社の会長が亡くなったのである。
そのうち、A社と当礼の現在の関係を考えると、やはり私か出だのでは向こうの遺族も気をつかうだろう……と思い直した私は、急濾、当社の相談役であるY中と、常務取締役を務める私の長男を代理で出席させることだった。
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